「不審感」は存在するのか

このところ、雑誌執筆のご依頼をいただく機会が増えています。

現在連載されている記事もあれば、今後発売予定の雑誌もあります。
「書く」という点はこのブログも同じですが、雑誌には校正が加わります。

他の方から意見をいただくことで、気付きもあります。

出版における校正という存在

これまで、私の文章で「出版」という形式で公刊されているのは、

  • 書籍 「不正の端緒を見抜く財務捜査の進め方」
  • 雑誌 「警察公論」

があります。

現在執筆中の雑誌記事も含め、必ず「校正」という工程が加わります。

私がワープロで入力した文章に対し、

  • 誤字、誤用
  • 読みにくい文章に対する改善提案
  • 出典、引用の確認
  • 数字の検証

などが行われます。

校正の程度は、書籍・雑誌の性質、編集者のスタンスによって異なると聞いています。

校正で気付く誤用

文章を他の方がチェックしてくれるというのは、非常に助かります。

もちろん、原稿を書いてそのまま送るということはしていません。
客観視できるよう、少し時間を置いて見直しをしています。
冒頭から読んで、言葉がつかえるような箇所があれば、どこかに読みにくいところがあるはずです。
それらを直し、また少し時間を置いて直し、という作業を何度か繰り返し、締め切りタイミングを見ながらベストと思われる原稿を送っています。

それでも、校正で指摘を受けます。
感覚的な相違もあると思いますが、基本的には、読み手である編集者の方の意見を尊重することにしています。

ときには、校正に対し再考をお願いすることもあります。
ただし、誤用については基本的に受け入れることにしています。

「不審感」は存在するのか

先日は「不審感」という使い方について指摘を受けたところです。
確かに、ここは「不信感」か「不審」のどちらかのはずです。

会計不正の発見では、「何か数字がおかしい」という違和感が重要です。
あるいは、証憑を確認しているときに、通常とは違う何かを感じることがあります。
それは、筆跡であったり、用紙、日時などさまざまです。

「不信」は主に人の言動に対して使われると思うので、ここは「不審」です。
文章にするならば、「不審を抱く」「不審に感じる」でしょうか。
あるいは、用語を変えて「違和感」です。

「不審感」という使い方は一般的ではないようです。
ネットで検索してもほとんど出てきません。
改めて、用語の使い方について気付かされたところです。

本日のまとめ

校正によって、自分の文章の癖というのを感じることもあります。
一つ一つの指摘について「そうだよな」と思いながら、原稿を修正しているところです。