世の中にはルールを守る人のことを融通が利かないなどと低い評価を与えることがあります。
しかし、ルールを守ること、守らせることは不正防止の基本ルールです。
ルールを守るのは不正防止の基本
不正防止の基本は、ルールを守ること。
そして、ルールを守らせること。
多くの組織では、不正ができないようなルールが作られているはずです。
しかし、長年のうちに、ルールが形骸化。
これが守られなくなって不正が発生するということになります。
また、ポジションの高い人には、特別扱いをするということも見られます。
アメリカに勤務されていた方の話では、日本から来る「偉い人」の中にはビルに入館するときに行われるセキュリティチェックに不快感を示す方がいるとのこと。
身分証明書を求められたり、カバンを開くように言われるので、疑われている感じがするのでしょうか。
「アメリカ在住の方は、ポジションが高い方でも皆さんセキュリティチェックには協力的です。全員が漏れなくチェックを受けることで、今いるビルの安全性が確保できることを理解していますから」との話が印象に残っています。
ビルのセキュリティチェックだけでなく、上職者に対してはチェックが甘くなるということは、結構世間で見られることです。
本田宗一郎と警備員
これと関連して思い出すのは、本田宗一郎と警備員のエピソード。
本田宗一郎を乗せた黒塗りの車が、ゲートを通ろうとしたところ、警備員に通行証の提示を求められます。
本田宗一郎は、社長なのですから通行証などなくても、通れるはずです。
しかし、警備員は、通行証がなければ通せないとの一点張りです。
後部座席に座っていた本田宗一郎は「通行証を持っていなかった我々が悪いのだから一旦引き返しましょう」として帰ってきます。
そして後日この警備員に対して忠実に職務を行っていたということで労いの言葉をかけます。
このエピソードは実話かどうかまではわかりません。
ただ、本田宗一郎の人柄、他のエピソードなどから、実際にあった話だと感じます。
ガードマンの仕事は規則通りに融通を利かせずに人に無許可の人を通さないことです。
職務に忠実だということは、このような警備員の仕事ぶりだと思います。
本日のまとめ
昔の日本では、偉い人はフリーパスという風潮があったのかもしれません。
宮脇俊三の「時刻表昭和史」に、次のような一節があります。
八月二〇日項だったと思う。六一歳の父と一四歳の私とは上野駅へ行った。改札口にはいくつかの行列ができていたが、父は空いた口を見つけると「パス」と言っただけで通り抜けた。今日でもそうであるが代議士には国鉄全線パスが支給きれていた。それは知っていたし、現物を見せてもらったこともあるけれど、見せずに改札口を通り、改札係もそれをとがめないのには驚いた。
引用:宮脇俊三著「増補版 時刻表昭和史」
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昭和のエピソードとしては、興味深い話です。
しかし、令和の時代に通じる話ではありません。